2026/01/05 10:38

新春を寿ぐハレの器の最高傑作は、古伊万里の「型物」と呼ばれる器物です。


日本の伝統文化には「きざし」と「なごり」という奥ゆかしい豊かな情緒感覚が内包されています。


まず「きざし」という面の表現にはめでたさを意味する吉祥文様がハレの器としてあしらわれているのです。

 

型物の格式として「鐔縁」「独楽形」という大鉢の形状が約束事としてあります。


金襴手とも献上手とも呼称され、江戸時代の文物に「和魂漢才」が色濃く反映されているように、中国陶磁器


にも「唐物」としての優位性が保たれていたようです。


その裏付けとして器物の銘款は国産であるにも拘らず「大明万暦年製」というブランド力が幅を効かせていま


す。


その様式は陰陽五行思想や神仙思想が背景にあり、仏教美術も盛り込まれ、開運招福の願いを込めた文様があ


しらわれていました。「龍鳳凰図」、或いは「琴高仙人図」がそのものであり、仏教美術から瑞雲や瑞獣、嚶珞


赤玉文の引用は装飾性に富み迫力があります。

 

有田の並み居る職人の中でも選りすぐれたものが手掛けたこれらの器物は大名や豪農、豪商の富や権威の象徴


として重宝されました。


用の美としてこれほど豪華絢爛な器物は他にありません。


元禄時代の町人文化が花開き、古伊万里の需要はそれらの器物を頂点に庶民的なものまで、そば猪口や徳利


盃、大小の皿や小鉢等、多種多様な器が生産され全国津々浦々に広まって行きました。

ちなみに郷土料理と伊万里が結びつくものとして膾皿なますさらがあります。


そこがフラットな口径が五寸くらいの浅鉢です。北前船によって北海道の江差、松前までもたらされ、鮭を具


材にした三平汁の容器として使用されました。


 同じく吉祥文様には、まだ日本に陶磁器が誕生しない16世紀末、千利休に代表される茶人達が、景徳鎮界


隈の民窯に造らせた「古染付」の中の「祥瑞手」という、数寄者好みの舶来品がありました。その様式に倣っ


た古伊万里の祥瑞手も、やがて本歌の中国磁器を凌ぐようになり、用の器として、今日でもその流れを汲むも


のが制作されています。それは丸紋の中に山水画が描かれ、「青海波」、「紗綾形」、「毘沙門亀甲」等変化に富


んだ連続した地紋が配されています。


日本は中国の時代変遷とは違い、政権が変わっても文化が寸断されることはなく、色彩のグラデーションのように消長を繰り返し、季節にも「なごり」という情緒を感じさせるところに、同じ東洋圏でも大きな違いがあるように思えます。

閑話休題

江戸期も後半になると古伊万里は、他産地の勃興で競争の激化や自然災害における飢饉、あるいは幕府の質素倹約令により高品質の維持や生産量にも翳りが見え始めます。


それに追い打ちをかけるように文政十一年(1828)、有田を灰燼に帰した大火により、これまで培った様式や技術が損なわれ、職工達も他産地に避難しました。

折しも襲来した颱風が被害を増幅させたのでした。

この颱風は史上最大級の勢力で西日本各藩に甚大な被害をもたらし、別名シーボルト颱風と後世名付けられました。長崎港に係留していたシーボルトが帰国のために乗船しようとした船が座礁し、彼の持ち物の中に国外持ち出し禁止の日本地図が発見され追放されたのです。

彼が再来日したのは日蘭通商条約が結ばれる一八五八年の翌年まで待たねばなりませんでした。この事件を機に国防意識が一層高まり歴史上特筆されています。


文化の盛衰は政治や国防の陰に隠れてしまいがちです。陶磁器産業は平和産業であり、きな臭い時代になると一番先に振るわなくなります。


今日以上に苦難の時代でも前向きに開運招福を祈願してハレの器を使い続け、今日まで伝承してきたかけがえのない日本の器文化を現代で消滅させてならないと考えます。


断捨離などと言わずに、家代々伝え受け継ぐ「お道具」に愛着を注いでいただきたいものです。

 


1 古伊万里写色絵寿字紋独楽形鉢 香蘭社 19世紀サイズ:径21cm