2026/01/17 13:14


喫茶去という言葉があります。「お茶でも召し上がれ」の意味だそうです。茶室の床の掛物、つまり「一行物」としてあまりにも有名な禅語です。貴賎や老若男女を問わず分け隔てなく誰にでも真心を持って接する心の持ちようを説いたとされます。

 

このお茶を淹れる日本独自の文化が最近はとても怪しくなっています。

ご家庭に急須の存在が見られなくなり、テレビで観る政府の審議会の机に置かれるお茶はペットボトルという有様です。或る時は何とテーマは「食育」でした。コップも添えてない場合もあります。

 

先般「COOL JAPAN」と言うテレビ番組を見ていたら外国人にとって一番の日本らしさは「お茶」でした。

 

概ねお茶には千利休が体系化した茶の湯の抹茶と中国から来て黄檗宗萬福寺を開山した隠元が伝えた煎茶があります。それぞれ、一碗に込めた思いは同じだと思いますが、ペットボトルの出現で何でもありの様相を呈しています。 「定窯風睡蓮彫茶則 有田焼花伝作」

先日、国会議員の方にこの話をした所、ペットボトルの功罪の功を、一つは時間短縮と言われました。確かに手間や人手にコストがかかることでしょう。


しかし、文化を審議する会で目の前にペットボトルを据えて、少しの時間短縮で内容の濃い討論が行われるのでしようか?

喉を潤すだけであれば、コップと水差しを用意すれば体裁はよく、揶揄されることもない筈です。

 

和の外食で思い当たることは、一流の店とはメインの料理もさることながら、お米や漬物が格別に美味しい。お茶に関して言えば茶葉を選び、湯呑にこだわりがある様に感じます。

余談ですが、外食で不思議に思うのは、お茶は和食につきものでお代わりをしようが追加料金なしです。反対に珈琲、紅茶は有料であることが多いことです。

珈琲豆や紅茶は日本茶葉より格安であるにも拘らずです。論理ではなく、習慣として息づいている文化は永遠であって欲しいものです。

 

例の審議会にはお茶より珈琲がいいと言う方もおられるでしょうが、さすがに缶珈琲は見かけません。

ご婦人がペットボトルや缶をいきなり口に運ぶ姿は見たくはありません。

 

コロナ禍でテレワークや自宅で過ごす時間が増えた今日、怪しくなる喫茶を含めた日本の飲食文化を、ご自分を見つめ直しつつ、これらのことを考える機会にすれば、消え去らんとする伝統文化が蘇るかも知れません。


 当方では有田焼の本来あるべき姿を追求しています。人口減少は量から質に転換する好機であり、伝統的な技術が新しい生活文化の様式にも活かされ生き残る道筋が見えてくると思います。


手造り、手描きの陶磁器は刀をはじめ日本の諸工芸品に窺われる様に魂が込められています。

宅食や宅呑みでは、持ち帰ったコンビニ弁当もせめて器に移し替え、お膳には箸置きがあり、急須で湯加減に心を配り、美味しいお茶を淹れ、嗜んでもらいたいものです。

お店でもこの際、非日常のお道具で付加価値を高めて頂きたいと願うものです。

 

利便性や効率化だけでは文化を滅ばします。世界に誇るお茶がペットボトルでは「形なし」であり、台無しになりかねません。手間を惜しまぬ特色ある多様な文化は、寛容を生み育て、「喫茶去」の言葉の意味が普遍化することでしょう。

時間の余裕は以前より増したでしょうから、物を味わい、違いの分かる時代にしていきたいものです。