2026/02/07 13:58

サンクトペテルブルグにあるエカテリーナ宮殿の古伊万里

 ブラタモリの「なぜ世界の有田焼になったのか」がNHKで二週にわたって放映され、例年になく有田の晩秋は紅棄狩りを兼ねた観客で賑った。タモリの知性、教養に加えてユーモアがこの番組の人気たる所以で、教育的効果も大きい。

 

さて、「世界の有田焼」の白磁の原料である有田泉山の奇跡の「陶石」が、流紋岩であったなどとは、有田に生まれ育った者でも今日までほとんどが知らなかったに違いない。

本来は茶褐色の流紋岩が地表に湧き出る温泉に浸され、更に噴火して流れ出た溶岩に覆われ、二五〇万年かけて白磁鉱に変化したと専門家が解説していた。


 明治三年(1870)に近代窯業技術を携え有田に招聘されたドイツ人科学者ゴッドフリード・ワグネルは、非科学的でありながら、経験と勘に頼る伝統技術で名器を生み出していることに舌を巻いた。そして、何よりも原料の有田泉山陶石を世界一だと褒め称えたのだ。混ぜ物をせずに単味で制作できる原料は、泉山陶石を於いて他の産地にはない、と。

ただ、賞賛してくれたワグネルには申し訳ないが、現在此処の原料は殆ど使われていない。性質に長短あるからなのだが、詳しいことは既刊で述べている。

 

話は進むが、明治九年(1876)、米国フィラデルフィアの万国博覧会を視察した、南北戦争の北軍将軍でもあったグラント大統領は、有田焼に魅了されたようだ。 この博覧会に出品した香蘭社は金賞を受賞し、殖産興業推進者の大久保利通から名誉の賞を授与されていた。

大統領退任後、世界漫遊の旅に出かけ日本に立ち寄った彼は有田訪問を希望し、有田側は歓迎の準備で採石場を望む高台に御座所まで設けて待ち受けていた。しかし、伊万里地区でコレラが発生し実現しなかった。


また、ロシアのニコライ皇太子が来日の折も、香蘭社の八代深川栄左衛門が長崎出島まで表敬訪問に出向き、その縁で有田訪問が取り沙汰されたとの伝聞がある。

 曽て、筆者はロシアのサンクトペテルブルクが誇るエルミタージュ美術館で、日本陶磁器の収納庫を調査する機会があった。未整理の雑然とした地下倉庫は、期待するほどの質量ではなかった。

 土産話として、破損はしていたが背丈ほどの香蘭社の有蓋壺は、出島バザールで栄左衛門がニコライに献上したと伝わるエピソードを裏付けていた。収穫という程のものではないものの、焼物と人、あるいは文化の交

流に思いが膨らんだことは、ビジネス一辺倒に駆け回っていた筆者には一服の清涼剤になった。

 

 ニコライは返礼に数カラットもある金剛石(ダイヤ)を下賜したというのだから、面白い。因みに、戦前、香蘭社はウラジオストクにも支店があったが、帝政ロシア時代に開設したのか、どうかは知らないがご縁があったのだろう。

 

 私事で恐縮だが、旧年の過日、JR有田駅に降り立ったロシア人夫妻と、達者な日本語を操る通訳の三人が先ず向かった先は、明治伊万里を扱う「ギャラリー花伝」、つまり当方が主宰する山房であった。日本旅行は10日以上も通訳を従えての旅だと言った。交通の便は良くなったとはいえ、有田の草深き処まで来てくれたのは、とりもなおさず有田焼の盛名は未だ衰えず、だからである。

 

 白い摺鉢状の採石場は眩しく、松の緑とのコントラストはただ眺めるだけでも美しいが、奇跡の陶石といい、世界の愛陶家を魅了し続けた有田焼はロマンに満ちている。

 平成最後の正月を迎えて、先ず以て新年を寿ぎ、皇室の弥栄と、読者の皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げる次第である。