2026/02/10 14:18

『ベルリンのシャルロッテンブルグ宮殿の「磁器の間」』
人生はつまるところ一歩を踏み出し、時に痛みを感じ、時に快感を覚えることにしか生き甲斐と云うものはないのではないでしょうか。そして何かを掴むためにはありとあらゆる努力を積み重ねていくしかほかに道はありません。
バットは振らないと球に当たらないのは自明の理です。自身の能力が優れていようがいまいが打席に立った以上は思い切って振らざるを得ません。
私は何かを得るためにはこの試練の繰り返しだと思います。
しばしば「焼き物を勉強したいと思いますが、何が肝心でしょうか」と質問を受けます。私は即座に身銭を切って自身が好きなものを手にいれる事だと答えることにしています。
美術館や展示会に行って、ためつすがめつ、眺めていても、講釈は上手くなるかもしれませんが、審美眼は育たないのです。先ずは自身を丸裸にして他人の批評を仰がねば鍛えられません。
本物だと思って手に入れた物が偽物だったという冷汗三斗の経験で、次なる品定めの真剣勝負に凄みが生まれ、見極める確率が高くなるのです。「なんでも鑑定団」で値踏みされるものは全て事前に専門家集団の鑑定がなされ、脚本が出来上がっていて、鑑定する人間の臨場感はそこにはありません。外に出て出逢いを求めて欲しいものです。
先立つ物が必要ですが、そもそも、ものを知るということはたぎる愛情がそれらを超克しなければ先に進まないのです。
思い返してみれば、私が初めて明治伊万里を探しにアメリカに渡ったときも、その魅力の虜になり、更に知りたい、自身で手に入れて研究してみたいと云う衝動にも似た思いが募ったからです。
伊万里といえば、古伊万里、柿右衛門、鍋島の三様式しかないと思っていたのが、明治期に製作された輸出伊万里には別世界がありました。先ず器形は西洋のものだが、描かれているものは日本の伝統美であり、目を凝らして目に飛び込んできたものは細密な筆致であり、原色にはない、限りなく自然に近い多彩な色合いが新鮮でした。そしてこの和魂洋才の器物には思想が込められていると感じたのです。自然に対する畏敬、畏怖が込められている、と。
近代化を図るための手段として万国博覧会への参加は、殖産興業の推進に他ならなかったのです。その一翼を担ったのが日本の伝統工芸品の輸出であり、それは正しく外貨獲得に貢献し工業化の礎になったのです。諸外国に対して日本と日本人がどの様なものかを強烈に印象付けたと考えられます。ジャポニスムは欧米で旋風を巻き起こし、彼の地の芸術文化にも多大な影響を与えました。アールヌーボーや印象派への影響は計り知れません。
工業化が進み、大量生産の時代になると、皮肉にも粗製乱造が進み、日本の工芸品は陳腐化し輸出品としての魅力は希薄化していきました。陶磁器の分野で、ある意味において成功したと云えるのは、完全に西洋化した洋食器が名古屋で開発され、主に米国市場を席巻したことでしょう。もとはと云えば、輸出に先鞭をつけ、日本の窯業界をけん引してきた明治の有田焼は大正期には完全に名古屋地区に後塵を拝することになったのです。
万国博覧会の花だった明治伊万里は今でも光彩を放っていますが、その輝かしい功績と高い伝統技術は喪失され、現在の有田焼にはごく一部の窯元を除き、歴史や伝統を見出すことは困難です。どこで生産されてもいい様な物が有田焼として出回り、「企業存続」のために喘ぎながら生きながらえているのが現状です。滅びの美学としてしか、名品は後世に受け継がれないのかもしれません。
とまれ、世の中は大量生産、大量消費が見直され物が大事にされる時代が到来する予感がするのは筆者の妄想でしょうか。自然の厳しさ、優しさを改めて思い知り、その中から生まれる本物の物づくりがまた胎動してくるのではないか、とかすかに期待するのです。
世界中、伊万里を求めて歩き回りましたが、今一度行ってみたいところはやはり、武者振るいして打席に初めて立ったアメリカ東海岸のニューイングランド地方です。ボストンを根拠地にハナミズキが咲き誇る彼の地の爽やかな風を感じながら北ヘ向かい、南に下ったあの青春のたぎりは、また甦るに違いありません。たとい、明治伊万里の逸品に出逢えなくても再訪したいと念願しています。走り回った後の空腹は絶品のクラムチャウダー、ロブスター、オイスターが満たしてくれるでしょう。

