2026/02/10 14:43
過日、有田町は明治百五十年を振り返り「明治有田偉人博覧会」を開催し、先達の業績を辿った。改めて検証すると、明治という開闢以来の動乱の時代に命運をかけて海外輸出に挑戦し、やがて十七世紀に続いて第二の黄金時代を創出させたが、繁栄は永くは続かず、むしろ衰退していった窯の方が多かった。
一世を風靡した名門窯元の子孫を探しても、有田に痕跡をとどめないところもある。
拙著『幻の明治伊万里 悲劇の精磁会社』の上梓以来、ルーツを辿り当方まで訪ねてこられる子孫の方は今までも何件かあったが、昨年お会いした方は幕末から明治初期に活躍した名工、南里嘉十の末裔だった。
幕府の御用品を製作したとか、明治元年(1868)に浜離宮に隣接する敷地に迎賓館として建てられた延遼館にも南里製の食器が納められたと伝わっている。
また、万国博覧会にも出品され、中でも明治九年(1876)フィラデルフィアで開催された折の作品は、現在も当地の美術館の所蔵になっている。南塁嘉十の三代目にあたる方は名門深海家からの養子で家業よりも町政に功労があり、助役の後三代目の有田町長を務められた。
筆者は30年前に南里製の花瓶を里帰りさせたことがあり、南里家所縁の方にお会いするのは楽しみであった。
海外にまだ見ぬ南里製の有田焼がある可能性について話が及ぶと、里帰りにご自分も関わりたいと申し出られた。先祖の足跡を訪ねてフィラデルフィアまで出かけられた方だけに、どのようなものを制作したのか、さらに探索されたいのだろう。ただ、里帰りを果たせば個人所有にするのではなく、公共の場で多くの人に見ていただき、明治伊万里の研究資料として県か町に寄贈するので、仲介を頼む、と。
いかにも南里家に対する私のイメージ通りの方であった。
断る理由はないと、早速これまで培った海外のネットワークを通じて探していたら、この方のご先祖に対する熱意が天に通じたのか、程なくイギリスで発見した。
これは当時の輸出品によく見かける「花は桜木 人は武士」を表した92センチもある上手の大花瓶であった。人物画の運筆が巧みであり色彩が美しい。何よりも南里嘉十が得意とした大物細工は圧巻だ。流麗な姿態はまるで貴婦人のようである。
この花瓶に内在するものを探ると、外国人受けの良いものを作るだけでなく、日本人の精神性を誇示する意味もあったのではなかろうか。

「色絵武者図双耳付大花瓶 南里製 明治初期」
先祖の作品を里帰りさせてご供養することは誰にでもできることではない。
気品に満ちた南里嘉十の製品はご子孫も筆者も裏切らなかった。
無事に有田に戻ったこの南里製花瓶は首尾よく町に寄贈され、公開される日も近い。

