2026/02/15 16:11


「秞下彩朝顔図花瓶」深川製磁製 明治後期 

1900年のパリ万博を挟んで、欧州の美術工芸界ではジャポニスムから派生したアール・ヌーヴォーが台頭した。そのような最中、渡欧した深川忠次は大いに影響を受けて、有田焼における「和のアール・ヌーヴォー」を試みた。

 

図案の改良は明治初期から納富介次郎等によって編纂された『温知図録』などに拠ってなされたが、伝統的な意匠が洗練されたという域を出なかった。

 

筆者が図案らしい図案として評価するのは忠次がおそらく考案したであろう「朝顔図」である。この連続模様は壁紙のデザインで有名なウイリアム・モリスを連想させる。

 

 本家の香蘭社から明治二七年(1894)に独立した彼は深川製磁を創立した。本家の香蘭社の影響が強かった様式からの脱却は彼の執念だったに違いない。経営者としては輸出振興に心血を注ぎ、自らも万国博覧会へ何度も参加し、西洋諸国の文化芸術に触れ、市場調査を行い情報収集に余念がなかった。


 今で言う、マーケティングを自ら行ったパイオニアであった。またモノづくりにかけての情熱も相当なもので、「忠次さんのトンボ帰り」と言う逸話が残っている。それはお昼時に工場から自宅ヘ戻る際に、閃いたことがあるとすぐ工場へ引き返したことが度々あったからだそうである。

有田焼は分業で成り立っている。高度な技術を備えた職人を束ね、優れたプロデューサーが出現したときに名器が生まれている。朝顔にちなんだ話としては、幕末に来日したイギリスの植物学者は江戸の多様な朝顔を見て「世界一の園芸都市」と称えた。また、琳派の絵画や版画の題材にもなり、ジャポニスムの流行の題材の一つにも欧米人の趣向にかなっていた。

 

 忠次はイギリスのバーミンガムにあったワット商会と代理店契約を結び拡販に乗り出し、欧州市場にその名を轟かせた。「朝顔図」のデザインは応用され、観賞用のみならず食器にも展開され好評を博したようだ。欧米のオークションにも頻繁に出品され、筆者も手元には少ないが結構な数を入手している。今回掲載している「朝顔図」のランプスタンドは背景を赤で塗りつぶした赤濃が施してあるが、もう一方は白く抜いてある。いろいろとこのは意匠はバリエーションが豊富である。

 

有田焼は正念場を迎えている。安易に外部からのデザイナーに依存し、機能性だけに重みを置いた無味乾燥な焼き物が幅を利かせている。本来の様式美が影を潜めているのである。その点、忠次のように自前で状況を判断して新たなデザインを考案した努力こそ、我々が学ぶべきものが多々あると思うのである。